「復活された主の呼びかけ」 02.03.31 ヨハネ20:11〜18

 よみがえられた主イエスは、主を慕い、空っぽの墓の前で泣くマリアに
「マリア」と呼びかけてくださいました。美しい再会の場面です。
人の目には動かしようのないように見える墓石と死でしたが、主はそれを
取り除いてしまわれました。もはや何物も主イエスとの出会いを妨げることは
出来なくなりました。

 よみがえられた主は、マリアだけでなく多くの人のところにも現れました。
主が捕らえられた時に、逃げ出した弟子たちや、今や声を潜めて小さくなって
いる多くの人たちにもお声をおかけになります。
 そのお言葉は、叱責と裁きのお言葉ではなく、「平和があるように。安かれ」
とのお言葉でした。疑う弟子には、手と脇腹の傷を示し「ほら、信じなさい」
とのお言葉でした。主は、叱責し、裁くお言葉ではなく、憐れみと愛に満ちた
お言葉をおかけになりました。

 情けなく、頼りない者たちに向けられる、このお言葉は、一見不思議に
思えますが、考えてみれば当然でした。
 なぜなら、主の目の前にいるのは、主の十字架の死によって清められた
人たちばかりだからです。マリア、弟子、多くの人たちに共通するのは、
もう罪をぬぐわれ、罪を赦された人たちということです。

 十字架にかかってよみがえられた主イエスにとって、目の前にいるのは
「イエスを知らない」と言ってしまったペトロではなく、信仰の弱い弟子
ではなく、情けなさを抱える人々ではありません。
 神の前でマイナスと見なされる部分を、全部取り除かれ清められた、
愛さずにはいられない人たちです。そのようなまなざしで、人をご覧になり、
この私をご覧になってくださるのがよみがえられた主イエスです。
 それ故、主は私たち一人一人の名前をお呼びになり、愛に満ちた
お言葉をおかけくださるのです。
 「もう、あなたの罪はぬぐい去った。だからあなたにはプラスしかない。
だから安心して生き始めなさい。」
 私たちは、墓穴、罪、死を見つめるのでなく、主イエスに振り返って、
愛される者として生き始めます。